美しく生きるということ――がんサバイバーの1人として

§4 衣料業界から医療業界への大転換


ローフェン博士と出会い、がん最先端治療への資金援助を続けて約5年後、日本全体を揺るがす大災害が起きました。2011年3月11日の東日本大震災です。

全国的な自粛ムードのなか、私の本業であったファンデーション事業は深刻な打撃を受けてしまいます。主な販路だったテレビショッピングは防災関連商品が中心となり、半年先まで予定が入っていた私の出演はすべて延期(実質上の中止)になってしまいました。

大量の在庫を抱えて、会社は一気に危機的状況に陥ります。起業してから約22年、それまでも何度か危機を乗り越えてはきましたが、このときばかりは単なる経営危機だけでは済まされない、何か大きな転換が迫られているように感じていました。

余震が続くなか、日本全体が暗く重く沈み込んでいました。こういう時でも、どんな時でも、必要とされるもの、役に立つもの、人を助けられるもの――そういうものを提供できる仕事をしなければ…。積み上がって行き場を失った在庫に囲まれつつ、避難生活や困難な状況をひたすら耐えて乗り越えようとする日本の人たちの姿を見て、心に刻んだことでした。

そうして取り組んだのが、それまで資金援助を続けてきたがん最先端治療を、自分が責任をもって事業化するというプロジェクトでした。

ファンデーション・衣料業界から医療業界へ、しかもがん最先端治療への転換というのは、あまりに大きなギャップであるかのように感じられるかもしれませんが、私のなかではちゃんと1本の線でつながっていました。

 ただ、がん最先端治療となると、全く次元が違います。学ぶべきことは膨大にあり、勉強の日々でした。事業化に向けての事業計画立案や人脈づくり、それに資金集めも進めなければなりません。

ところが、私がどんなに新しい治療法の素晴らしさを説明しても、投資家たちはなかなかまともに取り合ってはくれません。「そんなにすごい技術だったら、なんで大学病院や製薬メーカーが参画しないのか?」と。

たしかに私は医学部を出たわけでもないし、医療の特別な資格があるわけでもありません。それでも相当な勉強をしたし、この事業に人生を賭けて取り組んでいるので、自分としては決して素人ではないと思っています。とはいえ一般的に見れば、やはり「素人が何を言ってるの?」ということになってしまうのです。

研究開発をしている博士はれっきとした学位のあるエキスパートだし、理解・協力してくれた医師からは具体的な症例もあがってきているのに、なんで分かってくれないんだろうと、悔しさでいっぱいでした。

そんなときに私の身に大事件が起こります。私自身の体に乳がんができてしまったのです。2013年、48歳を目前にした頃のことでした。