美しく生きるということ――がんサバイバーの1人として

§3 1人のデザイナーの意見よりも1万人の女性の声を


お客様を喜ばせ、会社の売上に貢献しつつも、次第に心のどこかに「本当にこれでいいんだろうか…」という思いがわいてきました。

基本的に、会社が作った物を売るのが私の仕事ですが、多くのお客様と接するうちに、「もっとここを改良してほしい」「こんな商品があったら…」という考えがわいてくるのです。

お客様の体は一人ひとり違います。本当にその人にあった理想的な体を作るためには、きめ細かな作り込みが必要です。

ところが、お客様の声をもとに商品改良の必要性を訴えても、「今のままで売れているのだからこれでいい」とか、「〇億円売れたらやる」というだけで、なかなか前に進みません。こんなふうに「たら・れば」と言って先延ばしにする人で本当に実行する人はいないというのが私の実感です。

「だったら、自分で作るしかない」と独立して起業したのが1989年の春、23歳の時でした。

スタッフは私を入れてたった3人。机も椅子もなく、運び込まれた段ボールがあるだけの殺風景な事務所。その段ボールに腰掛け、心細そうな2人を相手に将来の夢を語ったのを覚えています。「3年後は取引先30人を招待してニューヨークとハワイに行こう!」と――寒々とした部屋に、意気込みだけは熱く響いていました。

 しかし1人は、「現実を見てください。ここにあるのは段ボールと電気ストーブが1つだけ…とてもそんな夢物語にはついて行けません」と言って、すぐに辞めていきました。

信用もお金もなく、ただ女性の「キレイになりたい」という思いに応えたいという情熱だけで起業したようなものだったので、創業当初はとにかく苦難の連続でした。

しかし、「たった1人のデザイナーの意見よりも、1万人の女性の声に耳を傾け、それに応えるものを作りたい」という志に共鳴してくれる人が集まり、次第に仲間が増えていきました。

そして「ニューヨークとハワイに行く」という夢も、実現することになります。