美しく生きるということ――がんサバイバーの1人として

§9 第2の嵐と第3の嵐


2005年、40歳になった頃、補整下着の直営店や美容・健康関連事業など、会社の経営は再び順調に動き出していました。

ところが、平穏は長く続かず、それ以降も私の会社は、たびたび大きな嵐に飲み込まれていきます。

2007年のこと、その嵐は予想もしない方向から襲ってきたのでした。

それは、「駅前留学」で急拡大していた大手英会話教室の解約金トラブルに端を発する信販問題でした。

高額商品を信販で購入することに対する社会的な風当りが強まり、消費者保護の観点から法律も制定され、ほとんどの信販会社が高額商品の決済から撤退したのです。

それは、私たちの直営店・SUPERSTYLEの経営にとっても大打撃となりました。SUPERSTYLEの顧客は若い人が多く、信販で補整下着セットを購入していたからです。結局、小規模の取扱い店だけを残して直営店はすべて閉鎖するという経営判断をせざるを得ませんでした。

しかしこの時は必ずしも希望を失っていたわけではありません。どん底の時でもついてきてくれたスタッフを路頭に迷わせるわけにはいきません。私の頭の中には既に次の「売り方」に対するビジョンがありました。

それは「ビューティアイランド構想」というもので、ファンデーションからフィットネス、エステ、サウナ、フェイシャル、ネイル、ヘアサロン、ホームケア機器、関連ショップから最新情報まで、“美”に関することなら何でもありという、まさに“居酒屋的発想”の総合ビューティ施設でした。

当時、不動産事業で急成長して一部上場を果たした企業の社長がこの「ビューティアイランド構想」に興味をもち、銀座4丁目の有名な三愛ビルのフロア2つ(4F~5F)を借り切って、そこで共同運営をするという話が持ち上がります。

  オープンの時には、ビルの外壁に私の全身を写した垂れ幕を掲げて大々的に広告しようということになり、そのための準備も進めていました。

このプロジェクトに私は社運をかけていました。きっと大きく飛躍できるという確信がありました。

提携先の一部上場企業からは、ラピアンズに5億円の準備金が入ることになっていました。

そのとき突然、次の大嵐が襲いかかって来たのです。それは2007年の世界金融危機(リーマンショック)でした。不動産業が中心だった提携先企業は、その煽りをもろに受けて経営危機に陥り(後に上場廃止)、共に進めていたプロジェクトが直前で頓挫してしまいます。

「宙に浮いてしまった在庫をどうしようか…このままでは倒産するしかない。ようやく信販撤退の痛手から立ち直ったばかりなのに…」――あまりに突然のことだったので、どうしようもない状況でした。