§11 第4の大嵐と大転換・再出発

ところが、それから3年ほど経った頃、文字通りの大激震が訪れます。2011年3月11日、東日本大震災です。
その時、私が出演するテレビ放映は半年先まで予約が入っていました。それにあわせて大量の在庫を確保していました。
しかしテレビ番組をはじめ日本全体が一斉に自粛ムードのなか、テレビショッピングで扱う商品は防災グッズ一色となり、生活必需品でもない私たちの商品は、ずっと後回しということになりました。いつ放送が再開されるか見通しは全く立たない状況で、また膨大な在庫が積みあがっていったのでした。
日本全体が沈み込んでいる時、ただじっと待っているだけでは何も始まりません。こういう時でも、どんな時でも、必要とされるもの、役に立つもの、人を助けられるもの――そういうものを提供できる仕事をしなければ…。積みあがる在庫のなか、避難生活や困難な状況をひたすら耐えて乗り越えようとする被災者たちの姿を見て、心に刻んだことでした。
そうして取り組んだのが、がん最先端治療の事業化プロジェクトでした。ファンデーション業界から医療業界へ、しかもがん最先端治療への転換というのは、大きなギャップがあるように感じられるかもしれません。しかしながら、私のなかではちゃんと1本の線でつながっていました。
そもそも、美容と健康は密接につながっています。それにアンチエイジングや美容・健康に関するサプリメント等の企画販売も行っていたため、本当の健康とは何かということについても、それなりに深く勉強していました。
さらにかつて私は、乳がんで乳房を切除した女性のためのブラジャー開発など、メディカルファンデーションという医療用下着のプロジェクトに関わったことがありました。
その流れで、専門家ではなくとも、がん患者の事情や、がん治療に関する知識は、普通の人よりはかなり豊富だったと思います。
乳がんは、仮に手術によってがんを切除できたとしても、女性の心と体に深い傷痕を残します。そのつらさを少しでも癒すことができればという思いで、そうした女性専用のブラジャーを作っていたのです。
とはいえ、できるならば切らずに治す方法があれば、それに越したことはありません。
そう思っている時に、手術や放射線、抗がん剤とは別の方法でがんを治すという「がん遺伝子治療」を研究開発していたローフェン(Luo Feng)博士との出会いがあったのです。
――このあたりの詳細は、別テーマ「共にがんを生きる」のほうをご一読ください――